● 脳 死

  (1)脳死とは

  (2)脳死と人工呼吸器の関係は

  (3)脳死は人の死か

  (4)脳死状態での臓器移植がなぜ問題なのでしょう。

  (5)本人の意思があればいいのか

  (6)家族と本人の意思

  (7)自己決定権の尊重

  (8)臓器売買

  (9)脳低温療法

用語一覧へ戻る 『私が選ぶ、私の死』角川文庫参照

 


(1)脳死とは

 納棺は生命の中枢です。そこが死滅して機能しなくなると呼吸が止まって動物は死にます。脳幹が死ぬとやがてすべての脳が死にますから、イギリスでは脳幹死を脳死としています。

 

 


(2)脳死と人工呼吸器の関係は

 1950年頃、人工呼吸器ができてから強制的に呼吸をさせることができるようになり、酸素が送られるとある程度心臓筋肉は自機能をもっているので何日か拍動を続けられるようになりました。そこで脳が死んでいるのに呼吸と心臓拍動が続く状態がでてきました。

 

 


(3)脳死は人の死か

 脳があってこそヒトである。だから脳死状態になればその人は死んだと考えるべきである。という考え方と、呼吸をして心臓が動き、肌がピンクでさわれば暖かい、そんな状態でその人は死んだとは言えない、という考えの人もあります。「地に棹させば角がたつ。情に棹させばながされる」ウーン、むつかしいねぇ。脳死を「死」と考えるか、「生」と考えるかは主観の問題で結論ではないと考えるべきでしょう。

 

 


(4)脳死状態での臓器移植がなぜ問題なのでしょう。

 脳死を「死」とすれば、心臓・肺臓・膵臓・肝臓などの移植が可能です。これまで助からなかった人が助かる可能性があるので、「死」と認めて臓器移植を社会的に認めよと考える人がいます。 しかしその反対に、脳死を「死」と認めなければ、殺人行為となりますから、移植は認めるべきでないと考える人もいます。

 

 


(5)本人の意思があればいいのか

 本人が「脳死状態になれば私の臓器を提供していい」と事前に意志表示しておけばよいではないか、という意見があります。しかし、遺産相続法など、人が死んでからの法律・規則が多くあって、一方では完全に死んでいるから臓器移植してもよろしい、もう一方では、まだ死んでいない、臓器移植すると完全に死んでしまうと考えたとします。そこで、裁判になったりします。明確な脳死に対する法律が制定されていないので、それぞれの人の考えや思惑などが複雑に絡まって判定の基準が大変難しいのです。

 

 


(6)家族と本人の意思

 本人の意思が明確でない場合は、家族が本人の意志をたぶんこう考えたであろうと推し量って 臓器提供を承認すればよいという法律案が国会に提出されましたが審議されてることなく廃案となりました。次の国会には「本人の明快な意志表示がある場合に限り」という条件を付けた法案が提出されます。

 

 


(7)自己決定権の尊重

 本人医意志の最大限尊重は、脳死臨調の答申でも指摘していましたが、最終的な自己決定権として尊重されなければなりません。臓器移植法案がたとえ成立したとしても、「私は臓器の提供を拒否します」という意志表示をしておけば、それを法律は否定することができません。

 

 


(8)臓器売買

 臓器移植が日常的に行われている国では、臓器不足のために臓器売買が行われている、という報道があります。また、南米欧州で組織的に赤ちゃんの売買が行われているといわれています。極めつけはインドです。脳死状態でなくとも腎臓や角膜の売買が法律で認められています。

 

 


(9)脳低温療法

 体全体を25.6度に冷やす"低体温療法"で脳死状態と診断された人が生命を回復し、知的生活ができるまで回復した例が報告されるようになりました。これまで蘇生の限界点を超えたと思われていても助かる場合があるとすれば厚生省の脳死判定基準そのものを見直さなければならないかもしれません。

 

 

 


用語一覧へ戻る 『私が選ぶ、私の死』角川文庫参照